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【梵・漢・和】とは、インド(特に南インド)、中国(特に江南)、そして、私達日本を示すものとして取られている。私達が目を向けているのは、この三地域に代表され、アジア全体に通底する何かである。 アジアにおけるものの考え方の、重要なひとつは、仏教である。仏教は、インドとネパールの国境付近に生を受けた、ゴウタマ=シッダールタによって開かれた教えである。その教えは、まずインド全般に広がった。中でも、その教えが深化されたのは、南インドである。そのインドにおける仏教の頂点は、『中観論』を書したナーガルジュナ(龍樹)によって成し遂げられた。この『中観論』は、釈迦の教えを最も正確に解したものとされ、後の仏教の教えの根幹をなすようになる。 重視したいのは、なぜ南インドにおいて、ナーガルジュナが釈迦の教えを、『中観論』としてまとめることが出来たかである。様々な理由があげられるであろうにせよ、最もシンプルな回答は、彼の生きた土地の文化土壌が、それを理解しうるだけのバックボーンを持っていたからであろう。そして、その彼が、育っていたバックボーンとは、ドラヴィダ系の文化であった。 インダス文明の担い手であったと考えられているドラヴィダ人は、文明の衰退と同時に移動し、南インドに住み着いたと考えられている。彼らの文化レベルは、他の古代文明と比べても、非常に高いものがあり、その頃の儀礼や信仰などは、ヴェーダやリンガ、そして蛇(ナーガ)や地母神に対する信仰などに色濃く残されていると見られている。 やがてインドにおいて、仏教は、衰退する。しかしながら、その思想は、東南アジアなどにも広がる。その広がりの中で全く新しい地平を開いたのは、やはり中国に入ってからである。その広がりの緒において、重要な働きを示したのは、『中観論』であり、それを元にして大成された≪法華経≫である。 サンスクリット語で元々書かれていた≪法華経≫は、漢語に訳される際に、新たな創造がそこで行われている。それは、翻訳の妙である。漢語に訳される際、その≪法華経≫には、江南に根付いていた老荘思想に基を持つ言葉を多く取り入れた。現在のテキスト至上主義者からすると、これは、由々しき事態であると言えるものの、元々テキストを絶対的な神として立てることこそ、仏教の批判している所である。それゆえ、この翻訳の妙は、インドと中国の文化のハイブリッドとして評価されるべきことである。 しかしながら、注目しなければならないのは、翻訳の妙だと言ったとしても、その二つの文化間において、何らかの共通するものがあるとの確信がない限り、翻訳という≪創造≫は行われるはずのないものである。そのため、この翻訳に携わった人物達の間には、互いを理解し得る共通の文化土壌があったと言って良い。実は『易経』をその背後として持つ老荘思想と、非常に数学的な思考を賛美する南インドの思考との間には、多分にリンクする部分があると言え、両者共に、龍・蛇に対する信仰が元々強い文化圏である。それらのことが、翻訳の妙において、大きな役割を果たしたと考えるのは、無理のないところである。 言うなれば、日本とは、アジアの文化の掃き溜めである。 確かに、南インドのタミル語が、日本語の起源であるとする興味深い研究もある。しかしながら、常識的に考えて、日本は、漢の影響を濃厚に受け続けてきた国である。そして、その日本の文化の基底をなしているものは、聖徳太子の『十七条の憲法』に見る≪和の思想≫であり、その典拠は、≪法華経≫である。そして、日本文化が、世界の中でも、独特のものとして光を放っているのは、『正法眼蔵』に代表される≪禅≫である。その≪禅≫の源を探るならば、中国の少林寺にその教えを伝えた、カンチープラムの王子であった≪達磨≫である。つまり、日本の文化の基底を成しているものは、非常に南インドと江南の思想の影響を強く受けているものである。 そのように考えるならば、日本とは、アジア文化の掃き溜めであるのと同時に、最終駅である。つまり、【梵】と【漢】の文化の終着駅である。 確かに、仏教というものは、アジアを代表するひとつの思想ではある。しかしながら、形として残っている思想とは、人々が日常を生きて行く上では、さほど重要なものではない。重要なのは、その思考・思想が、実際に生きている人々の所作の中へ、如何に沈みこんでいるかである。我々が、より注目したいのは、そのような思想を生んだ背景が、いかなるものであるのか、そしてその背景が、いかなる様相を持って、日常の所作の中に溶け込んでいるかである。そのため、我々が、興味を抱いているのは、仏教に限ったものではない。むしろ、仏教に付随している物である。言うなれば、仏教とは、【梵・漢・和】に通じて伝えられている文化の付随物を示す象徴でしかない。 我々が、目的としているのは、【梵・漢・和】に通じて伝えられている文化の付随物と、それを生み出す背景を、少しずつ明らかにしてゆくことである。その旅程は、【梵】、つまり南インドのタミル語文化圏から始まる。そしてやがては、【漢】へと足を進め、【和】へと到着する予定である。 我々の生きているのは、【和】である。≪Terminal≫とは、終着駅でもあり、次への連結の始まりでもある地点のことを言う。我々が目指しているのは、一種の≪ターミナル≫である。【和】は、アジアの文化の最終駅としての≪ターミナル≫である。それと同時に、≪ターミナル≫に新たな連結の始まりを示す意味が含まれているのであるならば、新たに、【和】からアジア全体、世界に対しての情報が発信できるはずのものである。我々は、そこから情報を発信する出発点・拠点としての≪ターミナル≫でもあるとしてありたい。言うなれば、それは、≪Asian Terminal≫と言うことができるであろう。我々のこれからの活動は、新たな始まりの≪アジアン・ターミナル≫として進めていく所存である。 |
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