G.N.Balasubramaniam
(1910-1965)
| 1910年6月6日生まれ。父親は、高校の教師で≪Triplicane≫のサーバの幹事も勤めていた、≪G.V.Narayanaswamy≫。 彼の家は、音楽家の集いの場所としても知られるところであり、≪Pattnam Subramania Iyer≫の高名な弟子であった≪Guruawamy Bhagavathar≫と≪Madurai Subramaniam≫が同居していた。 その環境と、父親にサーバに連れられ、幼少の頃から、第一級の演奏に親しんでいた。まず、自分の父親に音楽を習い、≪Karur Chinnaswamy Ayyar≫の弟子となり≪Madurai Subramania Ayyar≫の下でも音楽を学ぶ。 しかし、その当時の通例であった、グルの家に寄宿する形で、教育を受けたことはない。 | ||
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彼の演奏スタイルは、全く新しく、独自のものであった。厳しく引き締まった太く響く声と、細かなニュアンスと知的なアプローチ。 厳格にして、崩れることのないターラから、音楽の頂点が、まるでブロックを積み上げて行くかのように極められる。 その演奏スタイルは、彼が初めて編み出したものであったが、それは彼が、それまでの演奏スタイルの伝承を第一にする師弟関係に囚われることなく、自由な発想を持つことが出来たことの結果であった。 そのどの流派にも、属さないことを彼は、逆に有効に生かしたと言える。 | ||
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彼のコンサートは、彼の解説が付く事でも知られていた。演奏会の中で、演奏した曲、アカンパニストの演奏のこと、そして自分自身の演奏のことなどを観客に解説し、 一人でも多くの人々に音楽の魅力を知ってもらおうと啓蒙にも務めた。その教育者としての才能は、 彼の弟子となった≪M.L.Vasanthakumari≫≪Radha Jayalakshmi≫≪Trichur V.Ramachandran≫≪S.Kalyanaraman≫などが、直ぐに一線の演奏家となったことからも見て取れる。 その姿勢に起因するのであろう。彼の演奏は、当時の演奏家にしては珍しく、曲の核を意識化して演奏している感がある。 その曲に対する洞察は、大学で『芸術学』を学んだりする中で育まれたものなのかもしれない。そのことから、最高の解釈者であり、曲の最高の再創造家であったとも言えるだろう。 | ||
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彼の膨大なレパートリーの中でも、得意にしていたのは、≪Todi≫≪Kaliyani≫≪>Kamboji≫であったが、 ≪Andolika≫≪Nalinakanti≫≪Vasantabairavi≫といった珍しいラーガの発掘でも知られている。 そして、彼自身作曲もし、その珍しいラーガなどを使って、250もの数の曲が残されている。しかし、彼自身は、自作の曲は、コンサートで取り上げることはしなかった。 また、彼の活動の中で知られているものに、映画への出演がある。『Bhama Vijayam』(1934)に≪Maharajapuram Viswanatha Iyer≫の兄弟の≪M.R.Krishnamoorthy≫出演したのを始め、 何本もの作品に出演している。中でも、≪M.S.Subbrakshmi≫との競演で『Sakunthala』(1940)は、男性・女性の声楽家の両巨頭が出演したことで、大ヒットを記録している。 しかし、その名声ゆえの、旅行生活で健康を害し、1965年5月1日、55歳で、逝去した。 | ||
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