Musiri Subramania Iyer

(1899-1975)

1899年5月9日、サンスクリット学者≪Sankara Sastrigal≫の次男として生まれる。幼くして母を亡くし、父方の叔母の住む≪Musiri≫で育てられる。 ≪S.Narayana Iyer≫に8年間、音楽の手ほどきを受けた後、当時、著名なヴァイオリニストであった≪Karur Chinnaswami Iyer≫の下で習う。 1920年チェンナイに居を移し、ティヤガラージャの孫弟子に当たる≪Tiruvayyaru S.Sabhesa Iyer≫の下で研鑚を積んだ。

10代の始めには、既にデビューしていたものの、一般に、大きく知られるようになったのは、チェンナイに移ってから、演奏会活動を始めた1923年からであった。 彼の演奏で特徴的なのは、人並みはずれて良く響く、高い声であった。アンプリファイされることのなかった当時において、彼のその声は、大きな財産であったと言える。 彼のスタイルは、独自に発展させたものであり、≪Neraval(Pallavi)≫における魅力は、良く知られたものであった。 また、彼は、基本的に、ゆったりとしたテンポを好んだ。特に、その傾向は、完成度の高い曲になればなるほど、ゆったりと演奏されるべきだとの彼の考えによるものであった。 実際、残された録音に聞く、ゆったりとした演奏からは、ガマカの美しさが、その味わい深さを醸している。

彼は弁舌の爽やかさでも知られる人物であった。演奏会の最後に、演奏者を賞賛する時のその弁舌は、コンサートをそのまま聞いているようだったとも称せられている。 端的な言葉で、人々に伝えることのできるその能力は、教育者としても発揮された。1949年からは、≪The Central College of Carnatic≫初代学長として、後進の指導に務めた。 ≪N.G.Seetharaman≫≪T.K.Govinda Rao≫≪K.S.Venkataraman≫を始めとして、その教えを受けた演奏家は、数知れない。 1940年には、≪AnnualAradhana Festival(Thyagaraja Music Festival)≫の開催中心人物の一人として尽力した。

1930年代には、録音したレコードが爆発的に売れ、チェンナイ以外でも有名になり、映画≪Tukaram≫に出演したことでも知られている。 また、1935年から≪Maylapole≫に居を構え、彼の家は、彼の飾り気のない人柄に魅かれた、幅広い交友関係の集いの場となっていた。 彼は、1975年に逝去するまで、その家に住んでいたが、彼のそれまでの功績を称え、現在その家のある通りは、≪Musiri Subramania Road≫と名づけられている。
試聴 Music India OnLine
Thyagaraja → Manambuchavadi Venkatasubba Iyer → Maha Vaidyanatha Iyer
→ Tiruvayyaru S.Sabhesa Iyer → Musiri Subramania Iyer