

T.≪インダス文明≫から≪カルナーティック音楽≫
U.構成要素
V.作曲家
W.楽器
X.コンサート
Y.まとめ
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≪インダス文明≫から≪カルナーティック音楽≫
≪カルナーティック音楽≫とは、南インドの古典音楽のことである。 日本では、一般に、≪インド≫と言うと、一括りにして語りがちである。しかし、実際の≪インド≫は、各州毎の特徴が濃厚であり、民族も入り混じっている。そのため、ある意味では、ECと同様なものであると考えて良い部分が多分にある。 特に、元々1947年の≪インド≫独立以前には、北インドと南インドの統一は、一度として行われたことがなく、両者は、かなり違う傾向をもっている。古典音楽においても、それは同様で、両者共通するところも多いものの、北インドの古典音楽であるヒンドゥスターニー音楽と、南インドの古典音楽であるカルナーティック音楽との、聞いてみての感覚の違いには、大きなものがある。 シタール・タブラ。これらが、≪インド古典音楽≫と聞いて思い浮かべるものであろう。しかし、これらの楽器は、ヒンドゥスターニー音楽で使用されるものである。そして、シタールに代表される、何か艶めかしく、神秘的なその音楽的雰囲気、徐々にテンポをアップさせ、曲尾に向かい盛り上がっていく形態も、ヒンドゥスターニー音楽のものである。カルナーティック音楽は、そういったものよりもむしろ、どちらかというとドライで理知的な感じを与える音楽である。 カルナーティック音楽のその特徴は、元々その音楽が、エンターテイメント性を求めるよりは、祭礼・政(まつりごと)を司るバラモンの職務としてあり続けてきたことに起因するど考えられている。 人類の古代を飾った各文明の中で、いまだ謎に包まれた部分が多いとされているのが、≪インダス文明≫である。現在、各方面からの研究が進みながらも、その文明の担い手がどのような人種であったのか、どのような社会組織を持っていたのか、そして何よりも、そこで使われていた文字の解読などは、まったく進んでいない状況である。その諸説ある中で、現在主流となっている説は、現在南インドに住んでいるドラヴィダ系の人々が、その文明の担い手であったとするのものである。 ≪インダス文明≫は、アーリア人の侵入によって、崩壊したと言われているものの、最近では、拡散するようにして、自然消滅したのではないかとの説が有力になってきている。その拡散していく中で、最終的に彼らが定住するようになったのは、主に南インドであったと見られている。そのため、南インドこそ、インドの発展の基盤となった≪インダス文明≫の影を色濃く残していると言われている。 文化の面において、後のインドが、大きな変動を起こしたのは、8世紀から始まったイスラーム勢力の侵入である。イスラーム勢力は、やがて、16世紀の≪ムガール帝国≫の成立によって、その頂点を極めることとなる。そのイスラーム勢力の侵入によって、北インドで、≪インダス文明≫を伝承していたと見られる、主にバラモン階級の人々は、数多く南インドへと避難するようになった。 この、歴史的背景を見ていくならば、現在の北インドの文化は、≪インダス文明≫から発展した≪正統インド≫の文化と、≪イスラーム文化≫との混合体であると見たほうが良いことが解る。その点、南インドは、無傷に近い形で、≪正統インド≫の文化の伝承が、行われていった。 このことは、インド古典音楽においても同様である。インドにおいては、ヴェーダの根幹の教えである≪音楽は宇宙は音でできている≫との考えから、音楽は、祭礼の中でも、非常に重要な位置付けをもって見られていた。実際、ヴェーダ自体が、音楽的な朗誦を基に作られていることからも、その位置付けの重要性は、見受けられる。 世界的に見ても、音楽がある程度の形態としてまとまる最初の段階は、祭礼や典礼といった、祭事・政(まつりごと)に関わるものとしてである。その祭事・政に関わっていた音楽がやがて、芸能化し、それを生業とする芸能者が現れるようになって行く。 ≪インド≫という国の特殊性は、長らく、この≪芸能≫に携わっていた人々が、寺院付きのバラモン階級の人々であったことである。つまり、祭礼・政を司る人々自体が、≪芸能≫も同時に司っていたということである。そのため、その≪正統インド≫の伝統を色濃く残している南インドでの高名な音楽家は、現在においても、聖者として非常に高い尊敬をもって遇せられている。 しかしながら、北インドでは、その音楽は、イスラーム勢力の侵入によって、変化を余儀なくされていった。特に、その傾向は、ムガール帝国によって北インド全般が統一されてから、著しくなって行く。それは、イスラーム勢力が、それ以前のインド文化を積極的に取り入れようとした結果であった。音楽も、元々寺院付きのものであったものが、やがて、王宮がパトロンとなる結果、王宮での、評価を受けるような形で、音楽形態が変貌して行く。つまり、バラモン階級の職務としての音楽から、王宮の人々を喜ばせる、エンターテイメント性が重視されて行く。そればかりか、やがて音楽は、王宮でのバックグラウンド音楽としての役割も担わされるまでにいたり、古来のインド本来の音楽とは、大分異なる傾向のものへと変化していった。 一方、南インドでは、イスラーム勢力の影響が無かったとは言えないものの、北インドのイスラーム勢力から避難してきたバラモン階級などによって、バラモン音楽は、よりいっそうの活況を呈することとなる。そのドラヴィダ系諸語では、≪南インド≫のことを≪カルナータ≫と呼ぶ。そのことから南インド古典音楽は、≪カルナーティック音楽≫との名称がついている。つまり、≪カルナーティック音楽≫こそが、≪正統的インド≫の伝統に近い部分を現代にまで残している音楽であると言えるのである。 |
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≪カルナーティック音楽≫の構成要素
インド古典音楽は、三つの要素によって成り立っている。≪ラーガ≫と≪ターラ≫、そして≪ガマカ≫である。この三つの要素は、それぞれ≪ラーガ≫はラーガ、≪ターラ≫はターラ、≪ガマカ≫はガマカとしか言いようが無いものである。しかし仮に、言うことが出来るとするならば、≪ラーガ≫は、「旋律を作るための形式化された素材」であり、≪ターラ≫は、「繰り返される時間の長さの単位」のことで、リズム・拍節・周期リズムと言われる事が多い。そして≪ガマカ≫は、音から音に移るまでの経過音とされ、各≪ラーガ≫毎に、その経過音のかけ方は異なる。≪ガマカ≫のことを装飾音と説明している文献も、多々あるが、≪ガマカ≫と装飾音は、全くの別物である。 カルナーティック音楽とヒンドゥスターニー音楽との違いとして良く話題に上がるのが、≪ターラ≫の使い方である。 ヒンドゥスターニー音楽は、演奏の最後になると≪ターラ≫のテンポがどんどん速くなり、最後に、演奏全体の頂点が作られる。そのため、ヒンドゥスターニー音楽は、早弾きなどの超絶技巧や感覚的甘美さといったエンターテイメント性に対しての指向性が強いものとなっている。その点、ある意味では、演奏者個人の力量がそのまま、直接的に解ってしまう音楽であるとも言える。 一方、カルナーティック音楽においては、この≪ターラ≫のテンポをいかにして、正確に保ち続けるかが、演奏家の技量のひとつでもある。これは、≪ターラ≫のテンポとは、神の領域の「宇宙の律動」なのであり、人為によって、揺るがすことなどできないものである、との考えから導かれている考え方である。それも、これはやはり、カルナーティック音楽が、バラモンの職務として残りつづけてきたことの結果なのだと思われる。そのため、カルナーティック音楽では、テンポアップの結果の頂点を楽しむのではなく、ある特定の時間の長さをいかに見事な数学的分割をして、枠に収めるかに興味のポイントが置かれる。そのため、この≪ターラ≫がフィーチャーされる打楽器だけの演奏部分ともなると、観客が手拍子を取って数字を数え始める様子をコンサートでは、目にすることができる。 カルナーティック音楽の場合も演奏者が、どの≪ラーガ≫を演奏するのかが、非常に重要な位置を占めているものの、それと同時に重要視されるのが、あらかじめ作曲された≪曲≫である。基本的に、カルナーティック音楽は、元々ある≪曲≫を基に演奏者が、即興で変奏していくのが基本パターンなのである。ある意味では、スタンダード・ジャズと似たものと見ても良いのかもしれない。そのため、同曲異演は、無数に存在している。 その即興の中でも特に、作曲された曲の前奏部とその展開の部分が、その対象となる。そして、演奏者は、≪作曲された曲≫を元に変奏するため、即興性と同時に、曲をどれだけ自分のものとしているのかも、演奏の評価の基準としてあげられる。どれだけ曲を自分のものにしているかという問題は、その曲を作曲した≪聖者≫と崇められている人達の心もまた、演奏者が体現しているかどうかということまで含まれて判断される。そのため、作曲家の位置付けは、非常に重要なものである。 |
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≪カルナーティック音楽≫の作曲家
カルナーティック音楽における作曲家の歴史は、それほど遡れるものでもない。むしろ、ヨーロッパ古典音楽と時代的には、平行して発達してきている部分もあり、案外新しい部分を多分に持っている。確かに、文献としては、紀元前後まで遡ることが出来ない訳ではないものの、現在、実際の演奏会で取り上げられる作曲家としては、15世紀の≪Annamacharya≫や≪Prandara Dasa≫といった作曲家が、遡れるものである。 作曲家の中で、最も尊敬を集めているのが、次の5名である。三大楽聖と呼ばれる≪Thyagaraja≫・≪Muthuswami Dikshitar≫・≪Shyama Sastri≫。そして、現在のカルナーティック音楽の祖と呼ばれる≪Prandara Dasa≫とケララ州の王であった≪Swathi Tirnal≫。特に、この5名の中でも、三大楽聖は、特別な作曲家として見られている。 《Prandara Dasa≫(1480-1564)は、現在のカルナーティック音楽の基礎を作った作曲家として尊敬を集めている。彼は、現在では断片的にしか残っていないものの、85年の生涯のうちに、475,000もの曲を作ったと伝承されている。その業績もさることながら、彼について最も重視されるべきは、カルナーティック音楽の習得の際におけるシステムを確立したことである。カルナーティック音楽で最初に学ぶ≪ラーガ≫は、[Maayamaalavagowla]である。この[Maayamaalavagowla]を最初に教え、その教える際の練習曲を作り、教育システムを確立したのが、《Prandara Dasa≫だと信じられている。そのことから、彼は≪カルナーティック音楽の父≫と呼ばれている。 次に、時は、18世紀後半〜19世紀前半にかけて、全く同時期に、同じ村から、その後のカルナーティック音楽の中心に位置されるようになる≪三大楽聖≫が輩出される。その≪三大楽聖≫とは、≪Thyagaraja≫・≪Muthuswami Dikshitar≫・≪Shyama Sastri≫の三人である
≪三大楽聖≫は、南インドの中でも、文化の庇護が厚いことで有名であった都市、タンジョールの町外れの村、ティルバイヤルという村に生を受ける。三人の中でも、特に多くの人々から愛されているのは、≪Thyagaraja≫であるが、三人の作曲家は、それぞれ異なる独自の魅力を放っている。 ≪Thyagaraja≫(1767-1847)。彼は、ラーマに対する熱烈なバクティ信仰で有名である。その音楽の魅力は、叙情性を持ちながら、聞き手を歓喜の渦へと巻き込むような表現にある。その歓喜こそ、彼にとっては、ラーマに対してのバクティ信仰の結果だったのである。彼が残した曲は、現在残っているものだけでも、1000曲以上にも及ぶが、特にその中でも、≪Pancharatna Kriti≫は、その天才性を示した作品として名高い。 ≪Muthuswami Dikshtar≫(1775-1834)。彼の音楽は、何か大きな、威厳ある空間性を感じさせるのが魅力である。その曲のほとんどは、当時としては珍しく、サンスクリットで書かれ、現在では、400曲ほどが残っている。≪三大楽聖≫の中でも、感情的な「うねり」といったものとは異なる魅力を持っているため、最も難解と言われることも多い。現在では、400曲ほどが残されている。ヴィーナの名手としても知られており、必ず肖像画では、ヴィーナを持った姿で書かれる。 ≪Shyama Sastri≫(1763-1727)。彼の音楽は、旋律の美しさと複雑なターラの妙味が、魅力のである。特に、そのターラの分割は、非常に独特のものがあり、非常に鮮やかな印象を残すことから、シヴァ・ダンスに模されることも多い。しかし、その音楽の複雑さなどから、現在残っている曲は、100曲にも満たない。 ≪Swathi Tirnal≫(1813-1846)。[Tiruvancore]の領主の子供として生まれた、≪Swathi Tirnal≫は、幼少の頃から、あらゆる言語を駆使する才能に恵まれていた。後に、王となってからは、様々な言語によって作曲をするのと同時に、音楽などの芸術の偉大な庇護者であったことで知られる。 今挙げた作曲家以外にも、数多くの作曲家がおり、現在も、演奏者自らが作曲して、コンサートにかけることも多い。そのことから、カルナーティック音楽は、一個人の獲得できる≪即興≫という領域を重視しながらも、一個人では、乗り越える事の出来ない、歴史を乗り越えて残ってきた≪既作曲≫の領域にもまた、重きを置いて演奏される音楽である。その点、個人と、個人を超えたものとの、バランスが取れた音楽であると言うことも出来るかもしれない。 |
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≪カルナーティック音楽≫の楽器
カルナーティック音楽で、重要視されているのは、声楽と、≪Veena≫である。中でも、≪Veena≫の位置付けは、器楽器の中で最も重要視されている。その歴史は非常に古く、≪Veena≫が、インド神話の中でも、知恵と芸術を司る女神サラスヴァティーと常にセットで描かれることからも、そのことが判る。ちなみに、この女神サラスヴァティーは、仏教に取り入れられ、日本での、≪弁才天≫の元になった女神である。 ≪Veena≫が、それだけ重要視される理由としては、インド古典音楽で重視される≪Gamaka≫という概念について触れなければならない。≪Gamaka≫を正確に述べるならば、音から音へ映るまでの道程、つまり音高が変化する際に取り決められている音の動き方である。一般的には、正確ではないものの、次の音に移るまでの装飾音として理解されることが多い。≪Veena≫は、その≪Gamaka≫の発展において最も大きな影響を与えた楽器であると見られている。そのため、ある意味では声楽よりも、重要な楽器であるとも言え、≪Gamaka≫の本質は、≪Veena≫を弾かないことには解らないとまで言われることもある。 ≪Veena≫についで、器楽器の中で重要な位置付けを持っているのが、≪Violin≫である。≪Violin≫は、インドで生産されたことはないものの、かなり早い段階から、取り入れられた楽器である。
ヨーロッパで、≪Violin≫が現代の形態にまとまった、16世紀中ごろには、既にインドに持ち込まれている。特に、≪三大楽聖≫の一人≪Muthuswami Dikshtar≫の兄弟であった、≪Baluswami Dikshtar≫は、現代の≪カルナーティック音楽≫における≪Violin≫の奏法などの基礎を作った人物として見られている。カルナーティック音楽において、≪Violin≫は、基本的に、アカンパニストとして機能する。しかしながら、カルナーティック音楽における、アカンパニストの位置付けは、メインの奏者と同様に高いものがある。そのことから、楽器としては、輸入に頼っていたものの、ヨーロッパのそれ以降の奏法の発展とは、まったく別の発展をみせ、非常に重要な楽器となっている。 そればかりでなく、元々、擦弦楽器の起源は、様様な学説があるものの、インド起源説の支持も根強いものがある。ヨーロッパで、ヴァイオリンの原型とされる、ヴィエールが、フランスに導入されたのが、12―13世紀である。それも、十字軍の遠征によって、アラブ・エジプトから、戦利品のひとつとして、持ち返られたものと見られている。 その当時、そのイスラーム世界の仲で、音楽などを生業にしていた人々の多くは、ジプシーである。ジプシーは、最近の研究の中で、その起源はインドであると見られている。ジプシーの最も得意とする分野のひとつであるタロット占いなども、元々≪マハーバーラタ≫の各場面を元に編み出されたものではないかと見られている。そのジプシーたちが、12―13世紀のころに活躍していたのは、アラブ・エジプト世界である。そのことから、十字軍が、その地域から持ちかえった戦利品を元にヴァイオリンの原型が作ったと考えるならば、インドにとって、ヴァイオリン≪Violin≫は逆輸入商品であると考えることが出来るものなのかもしれない。 この二つの楽器のほかに、重要なものとして挙げられるのは、演奏の際、基調音を鳴らし続けるタンプーラと、そして何より忘れてはならないのが、打楽器である。
世界各国の音楽の中でも、インド音楽の独自性が際立っているのは、≪ターラ≫の概念である。≪ターラ≫とは、先ほど述べたように、リズム・拍節・周期リズムなどと説明されることが多いが、正確に述べると、繰り返される時間の長さの単位のことである。例えば、一年という繰り返される時間の長さの単位を、月・週・日・時・分・秒で分割して行くように、様々な数学的分割をして行くのがインド音楽である。複雑に分割された時間単位が、何回か繰り返され、最終的に、大きな時間の長さの単位とピッタリと一致することが、演奏の妙とされている。そのため、結果として、その分割された時間の長さは、リズムとして聞こえるものの、その根幹は全く異なるものである。それだけに、もちろんのこと、カルナーティック音楽でも、打楽器は、非常に重要な位置を占めている。 インド古典音楽の打楽器というと、一般にタブラなどが想像されるが、カルナーティック音楽では、ムリダンガムとガタムという打楽器が主に使われる。ムリダンガムは、インド古典音楽の打楽器の中で最も歴史の古い楽器のひとつと見られている。両面の太鼓であり、その叩く革の表面には、真中に練り物が塗られてある。そこの部分を微妙に叩く具合を帰ることで、様々な音色を引き出すことが出来る。ガタムは、素焼きの壷であり、大きな音は出ないものの、カラッとした音がする。壷の腹の部分や口の部分といった、叩く場所を変えることで、音色を引き出す。その他にも、打楽器パートを受け持つものとしては、タンバリンに近い形態を持つカンジーラ、口琴のムールシンなどが挙げられる。 以上の楽器が重要なものとして挙げられるものの、それ以外にも、様々な楽器が演奏されている。フルート、ナーダスワラムなどがそれ以外では重要なものではあるが、現在では、サックス、クラリネット、ギター、エレクトリック・マンドリンといった変り種もある。楽器に関しては、カルナーティック音楽は、かなり柔軟であると言って良いだろう。 |
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≪カルナーティック音楽≫のコンサート
カルナーティック音楽の演奏会では、普通、3〜8人程度の編成で行われる。楽器の組み合わせは、メインの演奏者と、アカンパニストのヴァイオリン。そして、ムリダンガムとタンプーラ。これが最も多く見られる、シンプルな編成である。この編成に、メインの演奏者のサブが付いたり、ガタムやカンジーラなどの打楽器が追加されるが、同じパートの人数が、複数になることは、ほとんどない。 基本的な演奏形態は、基調音を受け持つタンプーラの音を元に、メインの演奏者の演奏が演奏をする。その演奏を一種のモドキとして、ヴァイオリンが追いかける。そのバックで、打楽器が、合いの手を入れていく形となる。 例えば、≪Ragam-Tanam-Pallavi≫と呼ばれるものの、演奏形態は次のようになる。 1.本体の曲(既作曲)の冒頭に、その曲の≪Raga≫を使った即興が行われる。この部分を≪Alapana≫と言い、メインの演奏家が、≪Tala≫を持たずに、即興で、≪Raga≫の展開をして行く。アカンパニストも、その即興の模倣をする。 2.その後、ある程度≪Tala≫を持たせた演奏が始まる。この部分を≪Thanam≫と言う。現在では、ここは即興で演奏されるが、本来は、既作曲の部分である。 3.そして本体の曲(既作曲)へと入る。本体の曲を演奏する。この部分を≪Pallavi≫と言う。 4.本体の曲を元に、曲の一部を使った変奏と、階名唱法などによる変奏をする。この部分を≪Neraval≫・≪Kalpana swara≫と言う。 5.その後、打楽器だけによる、≪Tala≫の分割の演奏がなされる。演奏会では、メインの演奏家、アカンパニスト、そして観客も一緒になって、≪Tala≫を数え、その分割の妙を聞く。この部分を≪Tani avarthanam≫と言う。 6.最後に、もう一度、本体の曲を全員で演奏して終わる。 この≪Ragam-Tanam-Pallavi≫は、演奏会の花形とも言えるもので、全体の演奏が、1時間を越えることもあるが、この形式の演奏は、1回の演奏会につき、1曲である。 実際の演奏会では、本体の曲だけであったり、≪Tani avarthanam≫が省略されたりして、長いものから、5分にも満たない小さな曲まで合わせて、10曲程度の曲が演奏される。一般に、何曲かを1時間ほど演奏した後、≪Ragam-Tanam-Pallavi≫が演奏会の頂点として演奏される。そして、その後、軽めの曲が何曲か演奏され、演奏会は終了となる。 |
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まとめ
カルナーティック音楽は、≪インダス文明≫につながる≪正統インド≫の音楽である。しかし、その音楽が表現しようとしているものは、世界の音楽の中でも、いささか位相を異にするものであるように思われる。一般の音楽とは、感情の入れ物である。しかし、カルナーティック音楽は、神に対しての祭礼音楽であったため、非常に理知的な背景を濃厚に残しているため、いわゆる恋愛などの感情を主要なモチーフとして扱ってきていない。つまり、一般の音楽が求めている方向と、カルナーティック音楽の表現が求めていった方向は、位相が違うように思われるのである。その結果として、インド古典音楽でも、感覚的に直接訴えかけてくるヒンドゥスターニー音楽のように、海外で大きく喧伝されたということは、あまりない。なぜならば、日本人を含め、海外の人々にとっては、自らの捉えている≪音楽≫の概念自体を一度、取り外し、≪音≫を聞かなければならないため、聞いても最初は、ピンとこないことが多いようである。 しかし、実際、≪インド古典音楽≫を理解しようと思うならば、ヒンドゥスターニー音楽を基盤にするよりも、カルナーティック音楽を基盤にしたほうが、遥かに理解しやすい。そしてまた、その≪インド古典音楽≫を愛好している現地の人々の感覚、そしてその奥に潜む≪音楽≫の捉え方が、一体何であるのかもまた見えて来やすいように思われる。 現在、世界各国の民族音楽は、厳しい状態に置かれている。ヨーロッパ古典音楽の、平均率を土台にした音楽の浸透によってである。≪インド≫もまた、その例外ではない。 実を言うと、最近、ヒンドゥスターニー音楽は、北インド現地での人気は、凋落の一途を辿っており、愛好している層は、海外の北インド出身者か、ビートルズなどを介してインド音楽に親しむようになった外国人のみになってきている。 一方、カルナーティック音楽は、1930年代にインドの中でも、先駆けて、音楽大学を設置したりしていったことから、寺院付きの音楽家となっているわけではないが、より多くの愛好家に対して門戸を開くようになってきている。そのこともあってか、現在のカルナーティック音楽は、映画音楽の攻勢を受けつつも、いまだに根強い人気を保っている。現地での映画音楽とカルナーティック音楽との関係を例えるならば、日本での、ポピュラー音楽と、ヨーロッパ・クラシック音楽との広がりと比較できるものと言って良い。現地チェンナイでは毎日数多くのコンサートが行われており、特に、ミュージック・シーズンと言われる12月から1月にかけては、一日で、30ヵ所近くの場所でコンサートが行われるほどである。そればかりでなく、土・日ともなると、朝の9時から、夜の10時頃まで、休憩を挟みながら、一日中、演奏者が入れ替わり立ち代りして、一日中コンサートが行われている。そのため、人気の高い演奏者は、どこの会場からも引っ張りだこで、1日に、3ヵ所もの会場を、梯子する演奏者もいる。 最近の演奏家は、スピーディーなテクニックや美声などによって、エンターテイメント性に傾きがちになってきていることは、否めない。しかしながら、会場での観客の音楽を聞く姿勢は、いまだ確かなものを持っていると言える。演奏者の細かい仕掛けに、会場全体から、素早い反応で、唸り声が聞こえることもいつもの風景である。また、中には、「往年の演奏家は、こうだった!」と言う煩型もまだまだ数多くいる。 時代の移り変わりの中で、カルナーティック音楽もまた、様々な変化を余儀なくされているのも確かである。しかし、世界に目を移しても、ヨーロッパ音楽の拡散によって、各国の古典音楽は、息も絶え絶えになってきているのが、現在の状況である。そのことから鑑みると、≪正統インド≫の伝統を最も色濃く残しているとされる音楽が、いまだにこれだけ、一般からの尊敬と指示を受けているのも、世界的に見ても珍しいと言えるのと同時に、それだけ貴重であると言うことが出来るだろう。それも、様々な要因があるといえるだろうが、やはり、≪インド≫の人々の深いところにその根を持っている音楽であるからこそ、現代でも、これだけの活力を持って存在できているのだと思われるのである。 |