Surya
Yantra

 インド文化の根深いところに根付き、インダス文明に、その起源を見ることができるともされるのが、ヴェーダである。そのヴェーダの根幹の教えは、≪音は神であり、宇宙は音楽である≫である。

 その教えを基盤に、ヴェーダは、朗誦され、非常に音楽的なものとなっていった。結果、インドにおいて音楽に携わることは、聖性に触れることとなる。そのため、音楽に従事する人々は、僧侶、バラモンであり、優れた音楽家は、聖者として拝められるようになったのであった。

 世界を見ても、音楽が、音楽として体を成す最初の段階は、祭礼に携わるものである。インドでは、この祭礼の音楽は、ヴェーダの朗誦であった。他国において音楽は、その祭礼の音楽から、芸能や芸術の音楽へと変化して行くが、インド音楽の独自性は、祭礼に根ざした音楽が、歴史を通じて最重要視され、現在でもまた、大きな位置を占めていることであると言える。

 ヴェーダとは、《知識》の意で、宗教的知識を総集した聖典のことであり、その成立は、紀元前15世紀以降とされる。インダス文明の後、インドに侵入してきたアーリア人の祭礼が元になっている。

 ヴェーダは、その成立順から、神々に対する讃頌である≪Rig Veda≫、≪Rig Veda≫の音楽版と言える≪Sama Veda≫、祭祀の進め方を書した≪Yajur Veda≫、災厄に対する呪方の集成である≪Atharva Veda≫の四つがある。≪Rig Veda≫の頃には、特定の基音と、その高・低音の三音だけであったものの、≪Rig Veda≫の音楽版と言える≪Sama Veda≫にもなると、オクターブを七音に分けるまでになっている。もちろん、この朗誦に携わっていたのは、バラモン(祭官)である。当初、このヴェーダの朗誦は、単純な形態であったものが、やがて、美的発展を遂げ、インド古典音楽の礎を築いたのである。

 このヴェーダの礎の後、音楽に大きな足跡を残しているのが、紀元前4世紀頃に≪Bharata≫によって編纂されたとされる≪Natya Sastra≫である。この≪Natya Sastra≫は、当時の舞踊・音楽・演劇について書かれた書物であり、そこには、特定の旋律系といった、ラーガの萌芽を見ることができる。そして、ラーガの概念は、6世紀頃には、確定してきていたものとされている。
Radha & Krishna

 その6〜8世紀頃になると、カルナーティック音楽では、現在でも名前が残されている作曲家などが、輩出されてくる。歌舞劇を残した≪Arunachala Kavirayar≫や、≪Andal≫。そして、歌集≪Devaram≫に曲を残している、シヴゥ信仰を歌った≪Thiru Navukkarasar(Appar)≫や≪Sundaramurthy Nayanar≫、女神信仰を歌った≪Thiru Gnanasambandar≫が、現在にまで、名前を伝えている。

 12世紀には、≪Jayadeva≫によって≪Gita Govinda≫が、書かれる。この作品は、初めて、歌にラーガとターラが指定された作品である。クリシュナとラーダのを題材にしたものであり、当時大きな潮流となりつつあった、バクティ運動に刺激されたものと見ることもできる。

 13世紀になると、北インドにおけるイスラーム勢力の台頭が目立つようになる。その結果、北インドの多くのバラモン階級の人々が、南インドへと避難し始める。その避難してきた人々の中で、音楽上重要な人物が、≪Sangeeta Ratnakara≫の監修を行った≪Sarangadeva≫である。≪Sangeeta Ratnakara≫は、≪Natya Sastra≫の後の書物の中でも、金字塔とも言える書物である。この書物によって、≪Sangeeta≫は、まず第一に音楽家のことを示すようになり、この頃より、ヒンドゥスターにー音楽とカルナーティック音楽との違いが顕著になってきていたことを見ることができる。
Purandara
Dasa

 15世紀前後になると、≪Tallpakkam≫に住んでいた音楽家達によって、作曲形式が大幅な進展を見ることとなる。代表的な作曲家としては、95歳まで生きた≪Annamaacaarya≫が上げられる。彼らの業績は、≪Kriti≫の形式を確立したことである。後に、カルナーティック音楽の典型的な作曲形式となるこの≪Kriti≫は、当初は、≪Pallavi≫と≪Charanam≫だけで作られていたものの、後に≪Anupallavi≫も付け加えられるようになった。


 この背景を経て輩出されたのが、カルナーティック音楽の父と称される≪Purandara Dasa≫である。現在、カルナーティック音楽を習得する際、最初に教えられるラーガは、≪Mayamalavagawra≫である。その教育システムを、最初に確立したのが彼であると信じられている。そして、それまで、108種にも及んでいた複雑なターラを、35種に発展・収斂したのも彼の業績だとされている。≪Dasa≫とは、神、特にヴィシュヌ神へのバクティを元に、その信仰の喜びを、家々を回って歌って行く人々である。彼は、生涯のうちに、475.000もの曲を作曲したと伝えられている。そして曲のほとんどは、彼が生活をしていた現地のカンナダ後で歌われている。彼の作品は、シンプルでありながら、直裁に気持ちを伝えるものであり、彼によって≪Kriti≫は、より洗練されたものへとなった。


 ≪Purandara Dasa≫の後、17世紀に≪Venkatamakhi≫によって、ラーガは、72の基本音階と、その派生によって音階は分類されることとなり、カルナーティック音楽におけるラーガの理論が確立される。

 ラーガには、特定の上昇音形と下降音形がある。両者はそれぞれ、≪Arohana≫と≪Avarohana≫と呼ばれる。この≪Arohana≫と≪Avarohana≫において、そのまま加工を加えず基本音階の通り演奏されるラーガは、≪Melakarta Raga≫と呼ばれる。ラーガは、この72種類の≪Melakarta Raga≫から、≪Arohana≫と≪Avarohana≫において、1音か2音抜かされたり、≪Ghamaka≫のかけ方を変化させたりすることによって、無数の派生ラーガが作られる。
Muthuswami
Dikshtar
 Thyagaraja
Shyama
Shastri

 そして、18-19世紀にかけて、カルナーティック音楽で最も尊敬されている三大楽聖が、登場する。≪Thyagaraja≫≪Muthuswami Dikshtar≫≪Shyama Sastri≫の三人である。

 彼らは、≪Tanjavur≫の郊外、≪Tiruviraru≫に、全く同時期に生を受ける。三人の音楽の魅力は、全く異なるものの、それぞれにおいて秀逸のものである。

 中でも、最も尊敬されているのが、≪Thyagaraja≫である。彼の音楽は、ラーマ神への熱烈なバクティが元になっており、叙情的な興奮を伴ったものである。

 ≪Muthuswami Dikshitar≫は、三人の中で最も難解とされるが、感情的な起伏よりも、荘厳を感じさせる。ヴィーナの名手としても知られ、ヴィーナからの影響をその曲の中に見出すことができる。
Swati Tirunal

 三人の中で、最も年長者である≪Shyama Shastri≫の音楽は、非常に複雑なターラを駆使し、ラーガと歌詞との絡み合いが特徴である。三人の中では、その音楽の伝承者が少なかったため、現在まで残されている曲は、100曲に満たない。

 この三大楽聖以外に、同時期に活躍した作曲家として知られるのが、≪Swati Tirunal≫である。彼は、ケララ州の≪Tiruvancore≫の領主でありつつ、芸術のパトロンとしても尊敬を集めている。

 三大楽聖以降の作曲家としては、バラタナーティヤムに多くの曲を残している≪Tanjavur Quartette≫、≪Thyagaraja≫の孫弟子にあたる≪Pattnam Subramania Iyer≫、映画などにも曲を提供した≪Papanasam Sivan≫等があげられる。

 20世紀になると、カルナーティック音楽はバラモン階級だけでなく、音楽学校を開設して、門戸を大きく広げることになる。現在は、西洋音楽のシステムや映画音楽の隆盛を受けつつも、多くの愛好者を集めている。