
![]() 1998年。日本においてこの年はもしかしたら、エポックメイキングな年になるのかもしれない。いや、その様な年にしなければならないと思えて仕方がない。この1998年とは、スパースター、ラジニカーントのタミル語映画 『ムットゥ〜踊るマハラジャ』が日本で上映され、大ヒットした年である。 端的に結論を述べよう。『ムットゥ』がヒットした理由は、南インドと日本との根深いところにおける共鳴であって、いわゆるインド、つまり北インドに見るイスラーム・ヒンドゥー文化に対しての共鳴ではない。しかし、これまで日本が受容してきたインドの情報、大多数の日本人がインドに対する意識の拠り所、それらのほとんどが、このイスラーム・ヒンドゥ文化である。『ムットゥ』は、それとは全く異なる文化圏の産み出した産物である。北インドと南インドの文化の地盤は、全く異なっているのである。もうそろそろ、そのことに気付いて、別々の文化として捉えるべき時代になってきているように思われる。 私の立場からすると、この偏向したインド受容は、ポイントが明らかにずれていたように思われる。同様の意見を持つ友人との話の中では、北インドよりも、南インド方が、むしろインド本来の伝統を濃厚に残しているのであり、日本との関係においては、そのバックボーンとして密接な関係を持つということが、結論であった。 さて、『ムットゥ〜踊るマハラジャ』がなぜヒットしたのかについてである。『ムットゥ』以降上映された、いわゆるマサラムービーの興行は、ことごとく惨敗であったと結論付けて良いだろう。私から言わせてもらうと、これは至極当然の結果であって、単に上映作品の選択におけるミスリード以外の何物でもない。上映された映画は、いわゆるインド映画通の人達が見て、良いと思える映画が選択されている。しかし、あの『ムットゥ』を見に来ていた観客は、その様なインド映画マニアの視点で、映画館に足を運んでいったのではない。ただ何となく、懐かしい感じのする馬鹿馬鹿しい映画として見に行っていたのである。そこにおいては、映画というフォーマットとか、インドの映画といった感覚は全くなかったのである。正直な話、『ムットゥ』を見に行った観客は、普段映画を見に行かない人達であり、少なくとも映画好きの人達ではなかったと結論付けて間違いないと思われる。 その彼らが見に行った理由は、インド映画として傑作であったからでもなく、インド的なエキゾシズムが原因でもない。確かに、『ムットゥ』は、近年稀にみる傑作である。しかし彼らが見に行った理由は、私達日本人が何十年か前まで濃厚に持っていたハレの空間、コミュニティーにおけるお祭りの空間、それを享受させるための触媒・媒体として映画が存在していることを嗅ぎつけたからである。決して、いわゆる「インド映画」(全インド基準)のフォーマットに乗った傑作だったからではない。もし、その物差しで測ることのできる映画であったとしたならば、とっくの昔に、マサラムービーは、日本に根付いていたはずである。結局の所、『ムットゥ』がヒットした理由は、インド映画だったからではなく、インドの中でもタミル語映画の伝統的なラインに乗った作品を、われわれ日本人がシンパシーを持って受け入れただけにしか過ぎないのである。そのため例え、インドに興味を持っている人達が見に行っている人達がいたしても、その彼らは、インドに神秘を求めて行った時代とは異なる、全くの異人種である。 もういい加減、インドに神秘を求める時代は、止めてもらいたい。インドの本来の姿勢は、神秘ではなく、今という現実を生ききるということである。私は、このことを思うたびに、インド旅行の最中にあった、パーン売りが、神秘に憧れたヒッピーに対し、「彼らが一番、インドの精神をわかっていない!」と吐き捨てるように言っていたのを思い出す。もう、世の中の趨勢は、インドに神秘を求めていない。そんな、ヒッピーの残党文化は、とっくに終わっているのである。 |
![]() 大多数のインド人が最も重要にしている聖典は、『バガヴァット・ギーター』である。『バガヴァット・ギーター』で述べられているのは「今という現実においてなさければならない行為に専心せよ!」というものである。つまり、今という瞬間を無垢な心で、精一杯に生ききるというものである。この思想の中には、何一つとして、神秘はない。ただ、生きることについての実践哲学、生きていく上でのコツだけである。そこには、曖昧なものはない。実は、私達が、インドにおいて、何か艶めかしくて、神秘のヴェールに覆われているように感じられる雰囲気とは、中世インドにイスラームの神秘主義(スーフィズム)が入って以降の北インドのものである。 本来、インド的思考回路は、現在・過去・未来ではなく、今に専心することによる限りなくクリアーで論理的で理知的なものである。その証明として、インドにおいて、歴史的記述が全く意味を持たなかったことがあげられる。インドにおいて、歴史的記述がないのは、この今に専心することを良しとし、通時的に、その今という瞬間を繋げていくことを遺棄していたからである。 もう一度言おう。もうインドに神秘を求める時代は、とっくに終わっているのである。 恐らく『ムットゥ』に馬鹿受けした人達は、それ以降上映されたマサラムービーを見て、「エッ?」と思ったはずである。変に、べたべたして、突き抜けた、カラッとした空気感がない。どこか抹香臭いのである。「うーん、これがマサラムービーなのかぁ、ラジニの映画は、非主流であって、インド全般はやっぱりこうなんだぁ。なんかつまんないなぁ」と。 実際その通りなのである。あれほどの歓びを持って迎えた『ムットゥ』は、決してインド映画ではなく、古典的な≪タミル語映画≫である。タミル・ナードゥ州は、北インドを中心政府とするインドにおける、非主流派である。しかし、実は、南インドこそが、インドの本来の伝統を最も色濃く残している地域である。 『ムットゥ』以降、上映された映画は、ほとんどが、北インドのヒンディー映画である。そして、例え南インドの映画であったとしても、多分にヒンディー映画、変にモダナイズ(脱インド)された意識の影響を受けてきた作品ばかりだったのである。もてはやされているマニラトラム監督もしかりである。つまり、選択の基準は、昔ながらの、インドに凝り固まった視点によるものであったのである。ボリウッド映画とタミル語映画、殊に≪ラジニ映画≫は、その根に持っている基盤が全く異なる。そして、マサラムービーを見ている人達のほとんどが、その違いの根っこが何処にあるのかが全く見えていないように思われる。それだから、ポイントを外しているのである。これが、ミスリードの原因である。 私達日本人は、『ムットゥ』を産み出す土壌、そしてその中でも最も、その土壌の臭いを感じさせるラジニカーントに対して共鳴したのである。そしてそれは、タミル語映画に限定してみてみると、その映画のフォーマットが、私達の周知のものであったことに原因がある。指摘として、美空ひばりのミュージカル映画とか上げる向きがあるものの、それは、もっと私達の記憶の彼方にありながら、DNAとして残っているものである。 北インドは、「私」という存在を押し出すことによって、「真」が立つ文化である。一方、南インドは、「私」を押し出すのではなく、人と人との間おける「信」を重視する。これは、『バガヴァット・ギーター』に見る『バクティ(無私の博愛)』の考え方が、広く広まっているからとされている。 |
![]() そのことを踏まえ、ボリウッド映画と≪ラジニ映画≫を見てみると、見た後の感覚がなぜにあれほど違うのかが分かってくる。ボリウッドは、何かしらの形で制作者の美意識を完成させるために、まず作られているのであり、その結果、説教臭い≪芸術映画≫にしかなっていない。ここで述べる≪芸術映画≫とは、アミタブ・バッチャン以降のハリウッドを模した娯楽作品、マルチスター・システム映画も含む。これらはつまり、黒澤明によって形成された≪映画≫というフォーマットからはみ出すものではない。そのため、そのフォーマットのインド映画を見るよりかは、もっとフォーマットを突き詰めたハリウッド映画・ヨーロッパ映画でも見た方がはるかにましなのである。 一方、タミル語映画である。タミル語映画は、先程述べた、人と人との間おける「信」、その基盤から、立ち上げている映画である。特にそれは、あの≪ラジニ映画≫、それ以前では、シヴァージ・ガネーサンの映画の中でこそ最も如実に感じられるものである。実にsimpleに人を信じて行く姿勢。『バクティ(無私の博愛)』である。 その姿勢は、≪シャーンタ(平安)≫から照らし出されている。言葉にせずともいつの間にか伝わってくるものに、日本の人々は、共鳴したのである。ではその、≪シャーンタ(平安)≫は、映画の中でどのようにビルト・インされていたのか。 エンターテイナーとアーティスト、触媒・媒体としての映画とひとつの完成された≪作品≫としての映画。現在、私達が≪映画≫として認識している代物は、黒澤明によって提示された、ひとつの作品パターン、つまりフォーマットにしか過ぎない。スクリーンというフレームのあるキャンバスに、いかに美しく豪華な絵を描くか、監督の独りよがりの美意識とニヒルな笑いを≪表現≫する。仮に、歓びを描こうにしても、「歓びとは何か」と変に説得にかかられる。映画作品に対して、受け手は受けっぱなしである。 映画とはそういったものなのである。これは、大きく見落とされていることである。 その映画を、社会の中枢に位置するものにまで高めながら、世界中で最も映画の鑑賞マナーの悪い人達がいる。タミル人である。彼らの、マナーの悪さは、酷いの一言である。指笛は鳴らすは、花吹雪は撒き散らすは、スクリーンの前で踊り出すは……。もう、滅茶苦茶である。もう、ほとんどお祭り騒ぎである。タミル人の受け止めている≪映画≫のフォーマットは、映画館の中で観客が≪歓び≫の空間を発現させるための触媒・媒体であるというものである。そのため、極論を述べるならば、そのフォーマットにおいては、作品の質はどうでもいいのであって、観客にとって映画とは、騒いで憂さ晴らしをするための単なる酒の肴であるとも言い得るのである。 そのため、彼らにとって映画は、芸術ではなく、ある特定の空間でコミュニティの共有意識を持つための祭典、つまり芸能なのである。観客は、一種のハレの空間を享受するために、映画館へと足を進めるのであり、映画人は、祭りのテキ屋宜しく、手練手管の芸を持って、観客にサービスする芸人なのである。それも、気高い心を持ちながら、観客の心を知らず知らずの内に≪シャーンタ(平安)≫から照らし返すのである。決して、表現者ではないのである。その様な≪映画≫のフォーマットの上で出来た傑作が『ムットゥ』だったのである。 このことを踏まえることによって、『ムットゥ』の大ヒットは説明できるのである。 |
![]() 『ムットゥ』を見に出かけた観客は、普段映画を見に行かない人達であり、決して映画好きではない。その彼らがなぜ見に行った理由は、私達日本人が何十年か前まで濃厚に持っていたハレの空間、それを享受させるための触媒・媒体と同質のものを嗅ぎつけていたからである。 聖と俗との境界の空間。もちろん、『ムットゥ』は、稀にみる傑作である。しかし、それ以上に日本であれだけの大ヒットをした理由は、その辺にあるのであり、決して、インド映画として傑作であったからでもなく、インド的なエキゾシズムが原因でもない。 そして、黒沢の規定した≪映画≫のフォーマットに乗った傑作であるからというわけでもないのである。彼らは、映画を、私達日本人が芝居小屋で見ていたものを、聖なる何かと関連させてみているのである。 芸能は、世界中何処においても神に捧げるものであったり、王侯貴族などのパトロンを歓ばせ、または名も知れぬ人達に福を伝えるものであった。つまり、芸術といった高尚なものではなく、基本的には他を歓ばせることで生計を立てているサービス業だったのである。そのため、そんなサービス業の人間が、訳知り顔で説教臭いことを言うことはなかったのであり、仮にあったとしても多分にエンターテイメントの中に溶かし込み、表面的にはテーゼを立てずに、自らの生活の糧を得ていっていたのである。彼らは、そうしなければ喰えない人達だったのである。 芸能の歴史は、≪祭祀の芸能≫→≪芸人の芸能≫→≪芸術家の芸能≫の歴史を辿る。南インドの凄いところは、その≪祭祀の芸能≫が、いまだに社会の中で認められていることである。芸能に携わる人達は聖なる人物であるとするのが南インドの伝統である。 例えば、バラモン音楽である南インド古典音楽(カルナーティック音楽)の著名な演奏家などは、聖人として崇めたて奉られる。その状況は映画でも同じである。男優は、クリシュナ神やシヴァ神の生まれ変わりであり、女優は女神、日本的に述べると巫女的な存在、一種の白拍子的な存在なのである。そのため、女優にとってのひとつの大きなステータスであるのが、神様映画の女優をやることなのである。確かに、神様映画は、数少なくなってきてはいるものの、その文化的な根っこは形を変えて残されている。そのため、彼らは、祭祀と密接な関わり合いを持っている芸人なのである。 『ムットゥ』の大ヒットは、その聖なる芸人が、ドロドロの俗の世界の中で、『バクティ(無私の博愛)』を行うことで、人々の心を≪シャーンタ(平安)≫で照らし返したところにその理由があるのである。そのところを日本の観客は、微妙に嗅ぎつけていたのであり、決して、映画として面白いから行ったのではないのである。 実は、日本は、その「バクティ(無私の博愛)」の精神を産み出した同じ土壌から自らの文化を編み出してきていた民族である。それであるから、私達が『ムットゥ』を見て、なぜか共鳴してしまうのは当然なのである。その点から考えると、タミル語映画のその背景を見ずに、インドという大雑把な枠組みでもって、客層のニーズに耳を傾けずに、インド映画マニアが好むような作品を持ってきたとしても、惨敗するのは当然だったのである。 『ムットゥ』の大ヒットは、そのインド映画マニアが求めている地点と全く逆の場所に、その原因はあったのである。 |
| Home | Top | Shop |
※ 当サイトは、左フレームでページの分類をしております。『ロボット検索』等から直接こちらのページにいらっしゃった方は、《 Home 》クリックして頂ければ、新規にフレーム付きのトップ・ページが開きます。《 Top 》をクリックしても、フレーム付きのページは開きませんのでご注意ください。 |