2004年7月18日 Workshop ≪特別講演≫
南インド映画と政治とのかかわり=神智学運動と南インド社会=
講演 : 神戸学院大学人文学部 赤井敏夫 教授
ドラヴィダ運動と民族的コミュナリズム/

1 . ペリヤールによるドラヴィダ民族主義
南インドの特殊なヴァルナ構成←ブラーミン(全ヒンドゥーの3.5%)シュードラ、不可触民(全ヒンドゥーの96.5%)
1916年、正義党による「非ブラーミン宣言」。ブラーミン=侵略異民族アーリア人と捉え、非抑圧者先住民ドラヴィダ人の復権を唱える
1928年、ペリヤール(ラーマスワミ・ナイッカー)、会議派から正義党に転向し、自尊運動を開始する
自尊運動=ブラフマニカルな知識体系の否定、タミル民族固有のパクッタリヴ(知性)の確立を目指す
自尊運動によるカースト(ヴァルナ)の否定は近代的カースト・コミュナリズムの帰結。マドラス管区における官僚インフラとしてブラーミンが独占する利権を奪取しようとする政治的運動

2 . 会議派とドラヴィダ民族運動との政治的対立
ブラーミンvs非ブラーミンのコミュナルなカースト間対立が、会議派的インド民族主義とドラヴィダ民族運動的個別民族主義の理念的闘争として顕在化する
ペリヤールの指導力は30年後半の反ヒンディー語闘争で頂点に達し、44年ドラヴィダ連盟(DK)の結成に至る
ペリヤールの過激化(カースト否定からヒンドゥー教そのものの否定へ)への反発から、アンナドゥーライ率いるより現実的な政治運動体・ドラヴィダ進歩連盟(DMK)が49年に結成される
DMKはイデオロギー宣伝のメディアとして巡回演劇、映画を積極的に活用、多数の映画・演劇関係者がDMK活動に関与する
⇒参照、カンパニー・ドラマからタミル語映画へ
DMKは57年から本格的政党活動へと方針転換を図る
←ヒンドゥー教由来の習俗の廃止やドラヴィダスタン(ドラヴィダ・ナードゥ)独立といったラディカルな闘争方針を凍結し、一般大衆に受容されやすいドラヴィダ民族主義へと転換
第二次反ヒンディー語闘争、65年に連邦政府がヒンディー語を第一公用語と定め、これを全インドに適用しようとしたことに対して、DMKはこれをアーリア支配体制の強化に他ならないとして、全州で反ヒンディー語キャンペーンを展開
67年の州議会選挙で会議派から州政権与党の地位を奪取、アンナドゥーライが州首相に就任し、今日にまで至る民族政党政権の嚆矢となる

3 . MGRの台頭とDMKの分裂
M・G・ラーマチャンドラン、キャンディ出身のスリランカ・タミル人。巡回演劇の俳優から映画界入りし、DK時代からドラヴィダ民族運動に参加。10年以上の下積みを経て、47年「ラージャクマリ」の主演でスターの座に躍進。以降DMKイデオロギーを体現したヒーロー像を演じてマチネー・アイドルとなり、農村部や都市労働者階級を中心に広範なカルト的ファンを獲得する
アンナドゥーライ没後後継者となったカルナーニディと党運営方針をめぐって対立、72年に新党、アンナ・ドラヴィダ進歩連盟(ADMK、現在のAIADMK)を結成、77年州議会選挙で圧勝して州首相に就任し、以降11年にわたって政権を維持。1988年没